あなたはモーリス・ユトリロという画家をご存知でしょうか?この画家は海外よりも日本でよく知られています。今回はそのモーリス・ユトリロの壮絶な人生についてみていきたいと思います。
ユトリロ プロフィール
・生年月日 1883年12月26日(1955年11月5日没)
・近代フランスの画家
・1920年代にパリで活動をしたアーティストたち「エコール・ド・パリ」を代表する画家の一人
・母シュザンヌ・ヴァラドンも画家だった
・2歳のころてんかんの発作を起こし後遺症が残った
画像出典元:Wikipedia
私生児として生まれる
モーリス・ユトリロの書類上の父親はミゲル・ユトリロです。
ミゲル・ユトリロはスペイン人の画家で美術評論家でした。
モーリス・ユトリロが7~8歳のころ認知されましたが、二人は一生会うことが無かったようです。
ユトリロの本当の父親は誰か定かではありません。
奔放だった母シュザンヌは多くの芸術家と浮名を流していたからです。
そうなると書類上の父親ミゲルさんが認知したのはとても寛大ですね。
母シュザンヌはとても魅力的で「彼女に会った男性はみんな恋に落ちた」そう。
サティ、ロートレックなどと付き合っていました。
一説にはあのルノワールが父親ではないかともいわれています。
シュザンヌがルノワールのモデルを務めていたときにユトリロが産まれているので、可能性はありますね。
画像出典元:this is media
もしそうだとするとユトリロの才能も納得ですね。
10代でアルコール依存症
内向的な性格だったモーリス・ユトリロは10歳になるころからアルコールを飲んでいました。
朝飲んで学校の帰りも飲んでフラフラしながら帰っていたユトリロ。
孤独を紛らわせる目的だったようです。
家族は止めるどころか、なんと祖母マドレーヌが飲ませていたとのこと。
マドレーヌはお酒大好き人間で「ワインは健康にいい」と信じていたんだとか。
精神薄弱だったモーリス・ユトリロの精神安定剤として飲ませていました。
このことが後々ユトリロをアルコール依存症で苦しめるきっかけとなります。
治療のために絵を描く
18歳になるとモーリス・ユトリロは医師の勧めで絵を描き始めます。
アルコール依存症の治療のためでした。
しかし効果は無くだんだんと精神的に追い詰められていきます。
モーリス・ユトリロの母親はプライドが高く、幼少期にユトリロが小児科医から精神薄弱と診断されていたにも関わらず精神病院に入院させることを固くなに反対していました。
それでもモーリス・ユトリロが20歳のときに精神病院に入院します。
これはユトリロの母親の再婚相手の勧めだったとのこと。
ユトリロは精神病院に入院して数か月も経つと退院できるほど改善していきました。
しかしユトリロの母親と再婚相手はこのことをめぐって数年後離婚することに。
症状が改善したユトリロは本格的に画家を目指すこととなります。
独学で絵を描いていたようですよ。
家族からの搾取
モーリス・ユトリロは晩年「貨幣製造機」として家族から搾取されていました。
その家族とは、
母シュザンヌ、義父ユッテル、妻リュシーの3人。
リュシーは銀行家の未亡人でユトリロより12歳年上でした。
そして義父のユッテルはユトリロより1歳年下の友人だったのです。
母と再婚相手のユッテルは21歳差!
ちょっと混乱してきますね。
しかも母が自分の友人と再婚したのは、ユトリロがアルコール依存症治療のためサノワ療養所に入っている間でした。
そして売れだしたユトリロをユッテルたちは鉄格子の部屋に閉じ込めて幽閉します。
そして絵葉書を渡してこれをもとに絵を描くよう指示。まるで囚人ですね。
より高値で売りさばきたい妻からも、
「一番売れていたこの時期の画風でどんどん書きなさいよ」と言われ、ただひたすら絵を描き続けていたようです。
描けたらご褒美として水で薄めたワインをもらっていたとのこと!
ユトリロは1955年11月5日に西仏の街ダクスで71歳で亡くなっています。
強度のアルコール依存症のわりに長生きされていますね。
やっぱりお酒好き祖母マドレーヌの「ワインは健康にいい」は正しかったのでしょうか。
作風
1914年ごろまでの「白の時代」の作品が最も評価されているようです。
この時代の作品は、白を基調とした詩情豊かな風景画です。
画像出典元:アート名画館
モンマルトルの坂道や教会などの街並みを数多く描いています。
モンマルトルは漆喰の階段が多く、ユトリロが小さいころにその欠片で遊んでいたことから、白という色が身近な存在でした。
白を多用し独特の深みがあることから「白の画家」と呼ばれるほどです。
ユトリロは自分の描いた絵から「枯れた花やロウソクのにおいがすればいいと思う」と言っています。
のちに精神が安定してくると絵に色彩が生まれてきています。
画像出典元:翠波画廊
まとめ
ユトリロがもし幼少期に医師の指示通り精神病院に入院・治療を受けていたら作品に何らかの影響があったのかもしれません。
アルコール依存症にならなければ幽閉されることもなく、もっと色んな所に行って直接見た景色を描くこともできたでしょう。
ユトリロの母親シュザンヌの選択ミスが悔やまれます。
しかしほぼ独学でこれだけの素晴らしい作品を残せるということは、同じ画家だった母親の才能を受け継いでいるということですね。