吉村崇の実家は札幌市西区!父親は超有名人のマネージャーだった!?母親は失踪!?

飛ぶ鳥を落とす勢いの平成ノブシコブシの吉村崇さん。

彼が生まれ育った実家はどこだったのでしょう。

また、両親についても詳しく記事にしましたので、ぜひご覧ください!

実家は北海道札幌市

吉村崇さんの父親である耕治さんは、札幌市で一人暮らしをしています。吉村さんが6歳のときに両親が離婚し、耕治さんが父子家庭で崇さんを育てました。2022年時点で、耕治さんは78歳になります。

画像出典元:五条blog

吉村さんは、芸人としてのキャリアが長く続いた後、20代後半でようやく成功し、一人で生計を立てられるようになりました。しかし、まだ売れていなかった頃は、父親の耕治さんが仕送りをして、崇さんの生活を支えていました。

吉村さんは、「親父が親戚に頭を下げてお金を借りていたんですって。それを仕送りしていたのを最近知ったんです。親父が普通に出してくれていると思っていた」と語っています。実際には、父親は親戚に頼んでお金を借り、その資金を仕送りに充てていたのです。

売れていなかった時期に、吉村さんは家賃の支払いのために送られた仕送りを別の用途に使ってしまい、父親に迷惑をかけることもありました。この反省から、吉村さんは親孝行の一環として、父親を地元の北海道にある高級寿司店に連れて行き、初めて父親にご馳走しました。息子の心遣いに、父耕治さんは大変喜んだことでしょう。

吉村さんは、NON STYLEやキングコングといった同期の芸人たちが成功していく中で、28歳から29歳ごろになってようやく安定した生活を送れるようになりました。それまでは、北海道に住む父親からの仕送りに頼って生活していたそうです。

最近になって、父親が仕送りのために親戚からお金を借りていたことを知り、吉村さんは「お返しをしないといけない」と感じるようになりました。そこで、父親を寿司店などに連れて行き、親孝行をしていると話しています。

その寿司店のご主人と女将さんからのメッセージでは、「吉村くんが出演する番組は自動録画して見ています。毎日、吉村くんの笑いで元気をもらっています」との温かい言葉が届けられ、吉村さんは「嬉しいなあ」と目を潤ませました。これを見た加藤浩次さんが「泣いてる?」と尋ねると、吉村さんは冗談交じりに「もし泣いていたとしても、『泣いてる?』って聞いちゃダメなんですよ」と答えました。

父親が超有名人のマネージャーだった!

吉村崇さんの父親である吉村耕治さんは、2024年4月時点で80歳を迎えています。地元・北海道で一人暮らしをしている耕治さんについて、吉村さんは「親父も若い頃は東京を目指していて、マネージャーの仕事をしていたんだよ」と語っています。耕治さんは、かつて演歌歌手のマネージャーとして働いており、野口五郎さんの担当をしていたこともあったそうです。しかし、「すぐ辞めちゃったんだけどね」と吉村さんは付け加えました。

この話を吉村さんが野口五郎さん本人に確認したところ、野口さんは「吉村、そんな人いたっけな…。でも、昔俺の時計を盗んだやつがいたんだよ」と返答。吉村さんは驚きつつも、詳しく調べてもらった結果、人違いであることが判明しました。それでも「一時期、うちの親父が時計を盗んだのかと思った」と吉村さんは笑いながら話しました。

その後、父親に真相を問い詰めたところ、耕治さんは「実は営業担当のマネージャーというか、営業先で働いていた社員さんだったんだ」と告白。吉村さんは「親父が話を盛っていたんだよ。出先でアテンドするような仕事をしていただけだった」と語り、付き人ではなかったことが明らかになりました。

また、吉村さんが6歳の頃、母親が家を出て行ったことも明かしています。当時、母親は働いていた喫茶店の常連客である「ヒゲのオジさん」と駆け落ちしてしまいました。これを知った父親の耕治さんは、息子を連れて取り返しに行ったものの、相手にボコボコにされてしまったそうです。「その時のことは今でも鮮明に覚えています。父親が顔面を殴られ、脳震とうを起こして尻もちをついていたんです」と吉村さんは振り返りつつ、現在では「今は楽しい話として親父と笑いながら話せる」と話しました。

その後、吉村さんは優しいおばあちゃんに育てられ、「多少は貧乏でしたけど、もっと大変な状況の芸人もいるので」と冷静に振り返っています。

母親は失踪!?

吉村崇さんは、6歳のときに両親が離婚し、母親が家を出て行ったという経験を持っています。離婚の理由は、母親が働いていた喫茶店の常連客との不倫であったとされています。小学校時代、吉村さんは母親に戻ってきてほしいと願い、直接会いに行ったことがありました。しかし、母親からは復縁を断られました。現在では、「大人になれば、愛や感情が冷めてしまうことも理解できるし、母親が決断したことは納得できる」と振り返っています。

当時の吉村さんにとって、母親が授業参観に来ないことが恥ずかしかったと感じていたようです。「おばあちゃんが来ることで、周りからの視線が気になっていた」と回想し、自分の恥ずかしさを埋めたかったのだと語っています。また、自分も将来的には離婚するかもしれないという不安を抱えつつ、浮気してしまう可能性もあると自己分析しています。

2013年11月に放送された『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)では、吉村さんが消息不明の母親を探す企画が取り上げられましたが、結局母親を見つけることはできませんでした。最後に母親と会ったのは、吉村さんが19歳のときでした。その時は、母親代わりに自分を育ててくれた父方の祖母が亡くなったことを伝えるためでした。

吉村さんは、祖母が亡くなる前、東京に上京する際に祖母から毛布を持たせようとされたことがありましたが、その時「俺はばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだよ」と厳しい言葉を放ってしまいました。その1カ月後に祖母が亡くなってしまったことを、吉村さんは後悔していると語っています。

2013年の番組では、吉村さんが母親に向けて「一度でいいから会って、食事でも何でもいいから一緒に時間を過ごしたい」とメッセージを送りました。吉村さんにとって、母親との再会は切実な願いであり、母親の愛情を求める気持ちは今も変わらないようです。

吉村さんが2006年9月のブログで母親について言及していたことが発覚し、インターネット上で話題となりました。ブログで掲載された母親の写真は2000年頃のものであり、その再会は、祖母の死を母親に伝えるためだったことが判明しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です