山田裕貴の父は元プロ野球選手!ドラフト4位で現役生活12年!現在は?

山田裕貴さんは2011年に『海賊戦隊ゴーカイジャー』でデビューすると2017年には12本の映画に出演し、人気俳優の地にのぼりつめました。

そして父親はなんと元プロ野球選手で現在は広島カープのコーチをされているとのことです。

詳しく見ていきましょう。

 

山田裕貴の父は山田和利

・山田裕貴

出身地 愛知県名古屋市

生年月日 1990年9月18日

出身高校 東邦高等学校

 

お父さんのプロフィールです。

・山田和利

出身地 愛知県名古屋市

生年月日 1965年6月3日

出身高校 東邦高等学校

 

 

山田和利は元プロ野球選手

1983年、東邦高校からドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。

画像出典元:デイリー

しかし、当時は内野手が充実していたためレギュラーに定着できない日々が続きました。

1988年には主にショートとして活躍し、82試合に出場しました。

そして広島戦では津田恒実からプロ初となるサヨナラヒットを放ちました。

1991年に長島清幸とのトレードで広島カープに移籍。

翌年には、5月からサード、ファーストとして起用され8月からはセカンドで2番打者に定着し82試合に先発出場を果たしました。

1995年には一塁手や外野手として活躍するもシーズン終盤に故障により離脱したのです。

1996年には若林隆信とのトレードで再び中日に復帰したが、ケガで故障しその年限りで現役を退きました。

 

・現役時代の成績

 

1987年       1988年      1990年     1991年

本塁打 0     本塁打 2     本塁打 0     本塁打 0

打点 2      打点 7      打点 3    打点 1

安打 5      安打 41    安打 8    安打 2

盗塁 1      盗塁 10    盗塁 1       盗塁 0

試合 12    試合   82     試合 29     試合 6

打率.238            打率.268          打率.200   打率.200

 

1992年      1994年      1995年

本塁打 8      本塁打 0        本塁打  12

打点 29     打点 7         打点 53

安打 75     安打 14       安打    82

盗塁 6       盗塁 1         盗塁 2

試合 93     試合 49       試合 94

打率.282     打率.200        打率.270

 

※ちなみに1986年は1試合のみ出場で、1回だけ打席に立ちヒットは出ませんでした。

 

山田和利は内野、外野と幅広くどのポジションも守れる優れたプレイヤーで足も速かったです。

高校ではキャプテンを務めていて、100メートル11秒台を記録しています。

また三振が多い割には出塁率は高かったので内野手としては攻守ともに活躍していました。

 

 

現在はコーチを経て現役引退?

1997年より二軍打撃コーチに就任します。

1998年には一軍の内野守備・走塁コーチ、1991年〜2001年にかけて二軍内野守備・走塁コーチに就任します。

その後も二軍野手総合チーフコーチや球団編成を担当するなどして2015年から2021年まで広島の二軍守備・走塁コーチを務めました。

現在は野球解説者としてお仕事をされているみたいですね。

 

親子仲は?

山田裕貴さんは、お父さんの影響で小学校のときに野球を始め主にピッチャーとして活躍していました。

小学校ではリトルリーグ、中学校ではシニアリーグに所属します。

両方とも基本入団テストなしですが、練習が厳しいです。

特にシニアリーグでは甲子園やプロを目指す人向けのチーム。

中学生までは父親の背中を追い続け、夢はプロ野球選手でした。

ですがチームメイトから「プロ野球選手の息子なのに」とプレッシャーをかけられ、それに耐え切れず野球の道を断念してしまいます。

 

実はお父さんとはキャッチボールすらしたことがないほど、野球の話をしてこなかったんだそう。

父親というよりライバル的な存在で、苦しい経験をしたようです。

その後父親から、野球をやれとは言われていないが、自分でやると決めたことをなぜ最後まで続けなかったんだと問い詰められました。

あのとき辞めずに続けていたら今もあのときのチームメイトと甲子園に出場できていたかもしれない。

お父さんを超えていたかもしれないと思うと後悔もあるようです。

それなのに父親に負けてしまった自分がいて、今自分はスタンドで応援しているんだという気持ちが溢れてしまったんだとか。

 

父親の言葉もあり山田裕貴さんは、やると決めたら最後までやり続けると決意しました。

その後、俳優を志したきっかけについては、幼少期に父親とあまり会話ができておらず認めてもらいたかったからだそうです。

山田裕貴さんが俳優になってからは、お父さんは息子の活動を応援しているそうです。

2018年にはお父さんが中日時代につけていた背番号「30」のユニフォームを着て、ナゴヤドームで始球式を行いました。

野球を辞めてしまった後悔もあり、俳優になってから始球式のマウンドに立つことが夢でした。

始球式の後、山田裕貴さんは感慨深さのあまり目には涙が…。

 

この姿はお父さんもグッと込み上げてくる思いがあったのかもしれません。

父は恥ずかしいのか決して息子のことを褒めません。

ですが山田裕貴さんが出演している作品を見て

 

・よく頑張っている

・俺にはできないことだから大したもんだ

 

と褒めていたことを妹の麻生さんがバラエティ番組に出演した際、話していました。

山田裕貴さんが出演する作品は全てチェックし、テレビに映るととても喜んでいるんだとか。

お父さんが知らないところで息子のことを応援していると知った山田裕貴さんは、嬉しくてウルッときていました。

 

まとめ

父親の影響で野球を始めた山田裕貴さん。

しかし、チームメイトからのプレッシャーもあり途中で野球の道を断念。

最後までやり続けろというお父さんの言葉を胸に、その後は俳優として着々と実力を伸ばしています。

今後の活躍に期待です。

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